自由と規律
最近自由とは何かとよく考える。
かの福沢諭吉先生いわく、「自由と我儘の境は人に迷惑をかけるとかけざるとにあり」と言うことらしいが、人に迷惑をかけないからといって自由とはいえない気がする。例をあげれば、化石燃料を浪費することは(短期的には)人に迷惑をかけてはいないけれど、将来の子孫の代には重いツケとなって返ってくる(可能性がある)。だからといって、江戸時代の生活に戻れといったってもはやそれは(今の文明生活を前提としては)不可能な話である(文化的にも社会制度的にも)。隕石(コロニー?(w)でも落ちてくれば話は別かもしれないけど。そうすると、「消費は美徳」とか「大きいことは良いことだ(これはもう死語か)」とか、「右肩上がりの成長」とか言う20世紀を支えたスローガンとは異なる、新たなパラダイムを構築し、その上で成り立つ自由を考えなければならないと思われる。
そうすると、現在の(旧世代(私を含む)から見て)若者たちの一見無気力な態度は、もしかしたら新たなパラダイムへの転換期を示す兆候なのかもしれない。これは多分に希望的観測を含んでいるが、今の老人どもに権力と資本を握らせておくよりかナンボかマシなのではないか?
とつらつらと考えてみたけれど、まだぜんぜんまとまっていないので機会を見てまた書くことにして今日は終了。
以上、お疲れ様でした。