Annex of Theatrum Mundi

絶賛更新停滞中のはてダに加えて停滞するblog的な何か

インターネットはコミュニケーションの手段か否か

一日遅れで筋肉痛がやってくるようになったgong01(ご老体)ですこんばんは。起きたら首が痛くてビックリしたですよ?
んでタイトルの話。この日記を書き始めてから、数年前の日記サイトブームの時以来久しぶりにいろいろな個人サイト(blog含む)を定期的に閲覧するようになったんだけど、あの時と比べて書かれる内容に自己というか自我というかぶっちゃけエゴが多く登場するようになった嫌いがある。特にここ最近はblogのシステムによるのか他人の書いた内容を引用し、それについて講評を加えるといったスタイルが目に付く。このとき、文脈を無視して一部だけ引用し、攻撃を加えるという姑息な手段をとる人もいるらしい。その攻撃すらも、他のサイトから(当然文脈を無視して)引用した内容をつぎはぎしたりしている場合があるみたい。まあ、多数の中で目立つのに効果的なのは人をけなすことなので、それを利用しようとすること自体はまったく問題ではないのだが、インターネットという場で行うことには若干の疑問を感じる。なぜかというと、もともとは耐障害性を向上させるための軍事用ネットワークであるとはいえ、現在ではインターネットはコミュニケーションのツールという理解が一般的のはず(だと思われる)。そのツールを用いて、わざわざディスコミュニケーションを行う必要があるのだろうかと思うわけ。しかし物の本によると一番のコミュニケーションは迫害とか虐待らしいので、そういう意味では最も濃密なコミュニケーションをしているのかも。でもそれを考慮しても、意見があるなら(特にblogならシステム上用意されてるんだから)直接筆者に自らの意見をぶつけたら良いんじゃないのかしらん。その方が議論が出来るのでお互いに理解が深まるなどの効用があると思うのだが。直接の意見表明を行わない理由を考えると、そもそも議論をするのが目的ではないからなのかもしれない。「こんな事言ってるやつがいるけどこんなんダメじゃん、フフン」みたいな根拠の薄い優越感が欲しいだけなのではないかと思ったり思わなかったり。ってこういうこと書くことが自らのディスコミュニケーションを暴露している?ハッ!?