Annex of Theatrum Mundi

絶賛更新停滞中のはてダに加えて停滞するblog的な何か

2日続けて飲んだYo!

昨日は修士を出て就職する後輩と、今日は研究室の半数未満と先生とで飲んだ。こういう場でいつも感じることは、どうしても1年毎の世代間で話題というか世界観というかネタが共有できないということ。例えばPCとかインターネットの話題にしても、1個下の年代の人たちはほとんど興味が無いみたいで、基本的な技術とかプロトコルの種類とかも知らないことが多い。下手すると有名なページとかも知らなかったりする。その違いが生じるのは私が高専出身で、中学生の頃から既に技術に興味を持っていたからだという気もする。でも、少なくとも大学の電気系を卒業して、電気回路が読めませんとかプログラムが書けませんとか言うのはナンセンスな気がする。しかし実際には自分の極狭い専門以外について知らない、むしろ知らなくていいという風潮がまかり通っている。これはよく言われるタコ壷化という現象なんだろうけど、社会(企業と政府)がそれを要求しているのかしらん。ここで先日の1980年代の話につなげると、要は1970年以降に小学校に入った人たちは、政治とか哲学に興味を持たない、もしくは持ってはならないという禁忌が生じているような気がする。それがベースとなり、現在に続く「高度消費社会」を形成しているのかもしれない。
なぜ私がこんなことを考えるかというと、自分の知識が極浅いということを常に思っているんだけど、各個人の専門についてすら私の方が知識(だけ)があるという事態が生じているから。はっきり言ってしまえば、私の知識は「トリビアの泉」のネタ程度しかない。その程度の知識ですら実際に働いている人の知識を凌駕してしまう(ことがある)というのはかなりというか相当問題があると思う。まあ、数百年前の時代を考えてみると、世の中の多くの人は自分の目の前のものしか理解しないで生きていたのだから、現在でもその事態は余り変わっていないのかも。そういう意味では、私が良くも悪くも「普通」ではないということなのかも知れず。こんなこと書くとなんか自慢以外の何者でもない気はするが、それでも私が感じている「現実」とはそういうものなのでゴザル。
閑話休題。こんな下らないことをつらつら書き綴っているこの日記だが、果たしてどういう人が読んでくれているのかしら?少なくとも私のアンテナからリンクしているサイトの管理者様と、個人的な付き合いがあってアドレスを教えた人が読んでくれているのはほぼ確かなのだろうが、それ以外の人はなぜこの日記を読むのだろう?最近のリンク元を見ると、一度しか書いたことの無い内容がGoogleとかでかなりの高ランクに位置しているため、そこから飛んでくる人が多いみたい。そういう方には求めている情報とは違う内容しかないと思うのだけど、とりあえず一回来た後はリピーターになっているのだろうか?そうすると私の考えている下らない内容も、人様から観て少なくとも一回くらいは読む価値があると思われているのかも知れず。かっこよく言えば、評価するに値する内容なのかも。でもなにぶん独り善がりのマスターベーションに等しい日記なので、なぜ読むのかというのがこちらからは見えないのでゴザル。以前書いた私に文章を書けといった人に言わせると、少なくとも読む人のことを考えて、テンポよく読める文章にはなっているそうだ。この点については実はというか当然というか私も非常に気にしていて、内容は無くても面白おかしく読める程度にはちゃんと文章を書こうと努力している。それが人様の資産(サーバ)をお借りしている私のモラルというか義務だと思っている。こういうことを気にするのが珍しいとも言われたりしたが、私からはやはり納得がいかないなあ。
というわけで、今日の日記の最後に皆様に質問なのですが、なぜこの日記を読むのでしょうか?まあ、一番大きい理由としては単なる暇つぶしというのが妥当な線だとは思うのだけど。
しかし時間が無いときほど筆が進むのはなぜだろう・・・
それでは、失礼致します。お休みなさい。