Annex of Theatrum Mundi

絶賛更新停滞中のはてダに加えて停滞するblog的な何か

近年の雑誌に思うこと

トラックバック先のid:gotanda6さんのところと同じような話なのだけれど、最近雑誌の装丁、中身を含めた内容全体が均質化しているような気がしている。その傾向が顕著なのは男女ファッション誌と、コンピュータ雑誌である。ファッション誌に関しては実際に買って中身全体を読んだわけではないのでここでは言及せず、コンピュータ雑誌についてだけ述べる。以降に取り上げる雑誌で私が触れたことがあるのは90年代以降なので、その頃の話に限定しておく。
id:gotanda6さんのところで詳細に述べられているのはMac Powerなので、Mac雑誌に関する雑感を述べたい。Mac雑誌で最も優れていると私が考えていたのはMac Powerであった。技術的な内容は詳細で、読み物としても面白く、さらにデザインも美しかったからである。また推測であるが、西海岸文化をデザインに生かしていたと思われる。それに次ぐのがMac Fanで、技術的側面がかなりMac Powerに比べると弱かった。Mac Peopleはただのカタログといった感じ。このような厳然とした序列があり、Mac信者はその狂信度と技術力に応じて購入する雑誌を選択していたと思われる。私は秋葉原某店のMac売り場で販売の経験があるので、上記の序列はそれなりに機能していたと手前味噌ながら考えている。今回のMac Powerのファッション化で感じられるのは、コンピュータ雑誌に技術は必要なく、必要なのはオサレか、実用性かの2者択一になったということである。Mac Powerと同様にオピニオンから転落した雑誌としてはInternet Magazineが挙げられる。どちらも技術的側面が完全に抜けて、紙面のオサレ化と外部の権威による記事の水増しが行われたという点で酷似している。ここからわかることは、当初の目的どおりMacは(おそらくWindowsも)電脳文房具として完成し、最早先進的な要素は何一つないということである。したがってそれを紹介するコンピュータ雑誌には、技術ではなく小手先の技能の披露、もしくはカタログとしての価値しか見出せないのであろう。
現時点で技術的側面を有しているコンピュータ雑誌は、Software DesignUNIX MagazineUNIX Userくらいであろう(一番後ろはかなり怪しいが)。これらに共通するのは読むのにプログラミング言語の知識を必要とすることである。すなわち、コンピュータで飯を食っている人向けであり、それ以外の人には敷居が高すぎる。少し前にはLinuxの(擬似的な)ブームがあり、それによってコンピュータ雑誌読者の技術の底上げが図られるかとも思っていたが、実際はLinux Magazineの休刊が示すように一部の好事家(+ソフトウェア技術者)の間だけの局地的なブームで、裾野の拡大にはいたらなかった。別の側面から見れば、Linuxも道具に後退して先端ではなくなったとも言える。
また最後にMacの話をすれば、Apple自身も最早技術力で勝負するのではなく、ファッショントレンドを先導することが目的のように見える。CMが面白い、もしくは面白くしなければならない分野は成長産業ではなく、成熟産業の特徴だからだ。Coca ColaとPepsiAdidasNikeのCM戦争を見ればこれは明らかであろう。ALTAIRに始まるパーソナルコンピュータの進化は、21世紀に入って終焉を迎えたのかもしれない。それを受けて、コンピュータ雑誌もまた進化をやめ、あとはただひたすら微小な差異を人工的に作り出していくことのみが目的化する気がする。