Annex of Theatrum Mundi

絶賛更新停滞中のはてダに加えて停滞するblog的な何か

もしくは私は如何にして心配するのを止めて萌えを愛するようになったか

昨日の話の続きを少しだけ書く。以下の議論は「萌え」と「カワイイ」が等価であるということを前提にする。
「萌え」という言葉の登場は比較的最近であるが、「カワイイ」が登場してからかなり長い期間が経過している。言い換えれば、女性はこのコミュニケーションツールとしての「カワイイ」という言葉を早くから手にしており、男性はそのような言葉を所持していなかったことになる。その原因は、男性にはプライベートの領域において積極的にコミュニケーションをとる必要が無かったからであり、女性にはその必要があったからではないか。すなわち、男性にはプライベートなコミュニティを形成しなかった、ということである。
何故男性がプライベートなコミュニティを形成しないかというと、端的に言えば仕事があったからである。仕事に没頭することによるアイデンティティの確保が容易であった、とも言える。しかしバブル崩壊以降、リストラや工場の海外移転により日本国内に仕事が無くなり、フリーターという新たな職業(?)が誕生する。このフリーターという職業は悪し様に言えば「誰にでも出来る」仕事を行うので、仕事に没頭するという形でのアイデンティティの確保はきわめて難しいであろうと予測される。従ってどこか別のところでアイデンティティを確保する必要が出てくる。そこで出てくるのが、オタクという選択肢である。オタクになり、オタクのコミュニティに属することでアイデンティティを維持することが(原理的には)可能となる。
このコミュニティを形成するための錦の御旗として用いられるのが「萌え」である。「萌え」を宣言することで、少なくとも同種の「萌え」を持つ人間とコミュニケーションをとることが可能になり、良くも悪くも共犯関係を維持しながら相互にアイデンティティを補完しあうことになる。
と書いたところで眠くなってきたのでまた次回。話がつながっていないのは仕様なのでまとめる機会があったら(というか夏までにまとめなければならない?)まとめてもっとまともに読める文章にします。