Annex of Theatrum Mundi

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感想・ネコソギラジカル(中)紅き征裁VS橙なる種

軽く読んでたら読み終わってしまったので感想をアップ。例によって例のごとくネタバレを含むので注意。
そもそも3部作の中間というのは、つかみとクライマックスの間の中だるみ期間で、興味を引き続けるためだけに存在する。序破急でも起承転結でもいいけど中間に物語を動かさなければならないという事情は変わらない。その意味では、本作は上記のとおりの物語の運び方をしていると思われる。
上巻での期待を持たせる終わりを受けての本作は開幕し、人類最強の請負人も死神も暗殺者も功罪の仔もあっけなく橙なる種に屠られ、色々顛末があった挙句1名負傷、1名行方不明、2名死亡という結果でパーティーは淡々と終了する。その後一念発起して行動を開始する戯言遣いだが、結局は人を傷つけるだけの結果になる・・・といった感じのところで本作は終了。下巻に続く。
いろいろなところで戯言シリーズはミステリではないといわれているけれど、本作を読んで私も納得がいった気がする。章ごとに新たなキャラクターが登場、もしくは再登場し、伏線もトリックもへったくれもなくストーリーが展開していくのはさすがにミステリではないだろう。昔椎名誠がエッセイで書いていたことだけど、「SF以外は作家にあらず」という時代があり、その後には「ミステリ以外は作家にあらず」という時代が続いた。これは時代が欲望する小説の形式が異なるということだけなのだが、言いえて妙という感じがする。現在はミステリがその座をライトノベルに追われようとしているのかもしれない。私はライトノベルを持ち上げる意図があるわけではないが、時代の要請としてあらゆる小説はライトノベル(と呼ばれるよう)になろうとしている。「ファウスト」が発刊されたことがこの説の傍証となるだろう。
しかし、この文章も時代という環境の中から観測された事象を説明しているだけである。後になってみてみれば、ただの的外れな個人の感傷に過ぎない。おそらく3ヵ月後には陳腐化しているであろう。